【不仲】 爆笑問題と浅草キッドの21年振りの共演 【共演NG?】

【不仲】 爆笑問題と浅草キッドの21年振りの共演 【共演NG?】

ことの発端は1990年にオールナイトニッポンを急遽休んだたけしさんの代打で呼ばれた爆笑問題が、本番開始時に太田さんが「ビートたけしは死にました。この枠は俺らがもらった!ざまーみろ浅草キッド!悔しかったら今から来やがれ」と発言し、水道橋博士が本当に番組に乗り込んできて揉めたところから浅草キッドと不仲になり、爆笑問題はニッポン放送出入り禁止になった、というのが一つの伝説化していました。

しかし、実はこれはかなり脚色されています。

実際は、番組開始直後太田さんが「実はたけしさんがとうとう死んでしまいまして…」と言い、田中さんが「縁起でもないこと言うな!」とツッコむ。また、田中さんが「ここはたけしさんの枠だから緊張する」といった話をすると、太田さんが「要するにビートたけしの時代は終わった」と返し、田中さんが「違う!」とツッコむ。若手としてはチャレンジャーですが、基本的にはいつもと変わらない爆笑問題ですよね。

で、問題の浅草キッドに対する挑発の件、これも実は番組序盤で、代打放送としての緊急コーナーとして、「今この放送を聴いている芸人で、不満がある、文句を言いたい、文句はないけど出たいという芸人はスタジオに来てくれ!」という呼び込みをしていたそうで、要は挑発ではなく、番組のコーナーであったと。そこで田中さんが「浅草キッドとか、水道橋博士とかあのへんも聞いてるかもしれない」とそこで初めて名前が出たようです。むしろ太田さんは、浅草キッドは来て欲しくないというような発言をするものの、田中さんが「浅草キッドも他のラジオで俺らの悪口ばっか言ってるらしいけどね」と、なんとなく挑発してるのは田中さんのほうではないかと思えるほどであったそう。少なくとも冒頭にあるような、太田さんが浅草キッドを挑発している感じは全くなかったと。

むしろ、太田さんは(他の代打候補が池田貴族だったことに触れて)「なんですかあれ。池田貴族は頭に来るね。とにかくイカ天とか大嫌いですから。それから、ウッチャンナンチャンも嫌い。B21も嫌い。それだけ言ってても2時間持ちますよ、私は。2時間嫌いなヤツ挙げられます。それから大事な太田プロも嫌いです(爆笑問題は当時、太田プロから独立したばかり)。一言言っておきましょうか。とどめを刺しましょうか」

さらに、「これは言うと怒られるけど、フジテレビは嫌いです。怒られるのを承知で言います。ニッポン放送もはっきり言えば嫌いです」と、超毒舌。さらに創価学会についても言及するなど、めちゃくちゃ。しかしやっぱり尊敬しているお笑いについて太田さんは、「たけしさんって言いたくないけど、たけしさんだね」と言っている。

で、現在なかば伝説化している水道橋博士の殴り込みについてですが、博士が登場するのはラスト5分。田中が提供読みをしているときに来たらしく、博士の第一声は「どうも、太田プロの松永光代です」だった。松永光代とは、もちろん現・太田光代のことであり、博士は太田の恋人を生放送で暴露して、「太田光と同棲している松永光代です」と続ける。これには太田も含めスタジオ中が爆笑。

もっとも面白いのはその先で、太田はそれに対して、「博士、はっきり言いますと入籍してんの」と答え、博士は「したの!?」と驚いている。そのあと博士はたしかに、「ダメだよ、たけしって呼び捨てにしちゃあ」と言っているが、これものちのち語り継がれているほど険悪なニュアンスはない。そして、その博士に答えて、太田さんが「たけしを抜きましたよ、とうとう我々が」と言っている。これも挑発的と言うよりか、やはり冗談っぽい印象。

そして太田さんが「本当に来るとは思わなかったな」とぼそり。田中さんに「最後に一言」と振られた博士は、「呼び捨てにするのは10年早いよ」と少し真顔で言い、ここで初めて少し本当に怒気を感じさせ、現在、玉袋が入院であることを伝え、「(玉袋は)いちばん嫌いなんだ、太田光のことが。玉袋を連れて来なかった良かった。本当に殴ってると思うよ、番組中は殴らないと思うけど」という発言は、けっこう熱がこもっていたそうですが、田中さんは半笑いでコミカルに、「博士、さっさと帰ってくださいね」なんて返していたそうです。むしろ水道橋博士と田中さんが揉めてるようにも取れる…?

と考えると「たけしは死にました」発言なんてすごく小さなものに感じ、ニッポン放送出入り禁止の直接的な原因は、太田さんの放送局批判、会社批判、事務所批判、先輩批判、創価学会批判などが複合的な要因となって、その後の暗黒時代へ突入したのではないかと考えられます。

これらを踏まえて個人的な推測だと、浅草キッドは若手の頃は芸人気質が強いかなり尖ったタイプで、第二のツービートと言われている爆笑問題のこともよくは思っていなかったが、実力があるのは分かっていて、どんどんお笑いのメジャーシーンへ駆け上がっていく爆笑問題を見ていて「やはりこいつらはスゴイ」と博士の方が折れた、同時に「自分はビートたけしにはなれない」と才能の限界も知り、これまで共演NGとしていたダウンタウン※1とも共演するようになり、子供も出来て、次第に丸くなっていったが、意外と玉袋筋太郎の方が根深かった、というところがじゃないでしょうか。

だから2013年の春にも玉袋筋太郎が爆笑問題に漫才で宣戦布告なんて騒動がありましたよね。博士は何も聞いてなかったそうですし。

でも博士も先日橋本知事との番組で途中退席したり、そのコメントもよく意味がわからなかったし、本当は芸人としてもっとテレビの中で活躍したいけど出来ないという葛藤が二人から感じられますよね、すごく息苦しそうに見えます。

でもすごくリアルな感じがしますね。それぞれビートたけしに憧れてお笑い界に入ってきた一方は、地獄を経験したがよりメジャーシーンで今もなお華やかに活躍し、片一方は芸人魂とプライドを持って高潔な気持ちでやるものの、そこを譲れないからこそマイナーシーンをとうとう抜け出せなかった、この陰と陽のコンビの話、すごく興味深いです。

※1 水道橋博士がダウンタウンについて語ったコメント

「臣は二君に仕えずという気持ちがあって。ホントに凄いと思ってるからこそ、そこで奉仕してはならない、という気持ちがあるから仕事は受けなかった」

「ボク自身がテレビタレントの端くれとして『ダウンタウンとは共演しない』と決めたのは20代の時だった。彼らと同じ時代を同じ場所で過ごせば、ねじ伏せられ、白旗を掲げ、心奪われることは明らかだった」